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セミナー「子供のスポーツ」

これからの体育・スポーツのあり方を問い直す-フィジカルリテラシーに着目して-

SPORT POLICY INCUBATOR(35)

2023年12月14日
松尾 哲矢 (立教大学 スポーツウエルネス学部、大学院スポーツウエルネス学研究科 教授)

 日本のスポーツ実施度をみると、ウォーキング人口が最も多い。筆者もその一人だが、歩くときに気になることがある。隣に誰かが歩いていると思わず、その人よりも速く歩きたくなるのである。性分もあるかもしれないが、思わず競争している錯覚に陥るというか、勝手に体が速く動いてしまうのである。自分のペースで気の向くままに歩きたいのに、である。いつからそんな「競争する身体」を身にまとったのだろうか。そういえば、体育の時、いつも、人に負けないように走りなさい、速い人にあわせて走りなさい、と言われ続けてきた気がする。「マイペース」ではなく、まさに「ユアペース」である。

 これまでの体育やスポーツは、自分の体調や調子に合わせて動く「マイペース」ではなく、人に合わせる、基準に合わせるという「ユアペース」を強いてはこなかったか。

 “Sport for All” から”Sport for Everyone”への変更の背景には、一人ひとりの「マイペース」を創るという願いがあったのではないだろうか。

 自分の体調や調子に合わせて運動を調整するのは簡単なようで簡単ではない。そこで注目されているのが「フィジカルリテラシー」である。

 第3期スポーツ基本計画(20222026年)では、「体育・保健体育の授業等を通じて、運動好きな子供や日常から運動に親しむ子供を増加させ、生涯にわたって運動やスポーツを継続し、心身共に健康で幸福な生活を営むことができる資質や能力 (いわゆる「フィジカルリテラシー」)の育成を図る」と施策として明記されている。

 それではフィジカルリテラシーとは何か。現在も議論が進んでいるところだが、ここでは、リテラシーについて整理してみたい。

■リテラシーとは

 リテラシー(英: literacy)とは、ラテン語の「literatus/litteratus」、教養があり、指導を受け、文字を知っていることという意味から派生したものである。従来、「識字」「読み書き能力」と理解されてきたが、現在的には、理解、整理、解釈、その活用という意味を含みこんだ概念として用いられている。

 リテラシーとは、「すべての人々が共通に備えるべき基礎的教養」(中山,1993p.15)であり、「読み書き計算だけでなく、人間の自由に寄与すべきものである」(Declaration of Persepolis1975)。また、リテラシーの必然性・必要性に関する理論的根拠は、「リテラシーが人間の基本的人権に関わるものであるという道徳的・倫理的原理と、社会の開発に関わるものであるという物質的原理に依拠するもの」(中山,1993p.15)である。すなわち、リテラシーは、基本的人権にかかわり人間の自由に寄与するものとして位置づけられるべきであり、そのためにすべての人々が共通に備えるべき基礎的教養、基礎的素養ということができよう。

 現代においては、様々な領域において体系化が進み、領域ごと(例えば、IT、情報、メディア、金融、ヘルスなど)にリテラシーの重要性が喧伝されるようになってきている。

■フィジカルリテラシーをめぐる動向とこれからの体育・スポーツ

 フィジカルリテラシー(Physical literacy)は、体育学やスポーツ・健康科学、スポーツ政策等の分野において世界的に注目される概念の一つとなっている。この用語自体は、19世紀末より、軍隊や体育において用いられてきたが体力との関連が強いなど限定的なものであった。この概念が注目されたのは、Dr. Margaret Whitehead (ホワイトヘッド)が2001 年の国際女子体育連盟大会(Congress of the International Association of Physical Education and Sport for Girls and Women)での提案が契機となった(岡出,2022p.6)。

 Whiteheadは、身体的リテラシーを「個人の才能に相応しく、生涯にわたり身体活動を営むために必要な動機、自信、身体的コンピテンシー、知識並びに理解である」(Whitehead 2010p.5)と定義し、全体的な存在並びに相互作用的な存在としての人間の属性により適した概念として、masterycompetenceに代わりliteracyを用い、コンピテンシーがあくまでリテラシーの下位概念として用いられている(岡出,2022p.10)。この概念の要素は、1)本来身につけている運動の可能性を生活の質の改善に向けて活用しようとする動機、2)身体的な挑戦が求められる場面でバランスを取り、効率的かつ自信をもって動く能力、3)身体活動を営む環境状況を読み取り、対応する能力、4)自分に対する自信並びに自尊感情、5)他人に対する感受性を備え、自分を表現し、他人と関わる能力、6)自分自身のパフォーマンスに影響を与える要因についての理解、から構成されている(Whitehead 2010 pp.12-14)。

 この概念は、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパ大陸、ニュージーランド、アメリカ等、各国に広がりを見せ、2013年には、International Physical Literacy AssociationIPLA)が設立された。また、2018年にはWHOにおける身体活動に関するアクションプランの目標の一つに組み入れられるなど、世界的な広がりをみせている。これらの取り組みや記載内容を詳細に分析した鈴木らによれば「Physical literacyの記述に若干の違いはあるものの、その記載内容に含まれる要素/領域は、身体的能力/体力/運動技能、身体活動(行動)、知識と理解(認知)、動機と自信(情動的/心理的)の領域である。ただし、Sport Australiaによってリリースされた定義だけに、社会的要素が含まれているのが特徴といえる」(鈴木ほか,2022p.55)と指摘している。

 ここでは、身体的リテラシーの構成要素として身体的領域(技能と体力)、認知的領域(知識)、情意的領域(楽しさ、自信、コントロール、動機等)並びに社会的領域(価値観、社会的スキル等)の4領域から、より包括的に構成しているオーストラリアの定義に着目してみたい。

 

 「身体的リテラシーは、運動並びに身体活動を行っている際に獲得、応用され、生涯にわたり、全体的に学習されていくものである。それは、身体的、心理的、社会的、認識的能力を統合する形で変化していく。また、それは、運動並びに身体活動を通して健康で、満ち足りた生活を営めるように支援するものである。身体的リテラシーを備えた人物は、個人の置かれている状況と関連させて、生涯にわたり健康を促進し、運動や身体活動を行うことを支援できるように、自らが統合した身体的、心理的、社会的、認識的能力を活用することができる。」(Sport Australia2019p.5)(下線筆者)。

 

 この定義からもわかるように、「生涯にわたり学習されていくもの」「身体的、心理的、社会的、認識的能力を統合する形で変化」「運動並びに身体活動を通して健康で、満ち足りた生活を営めるように支援するもの」「自らが統合した身体的、心理的、社会的、認識的能力を活用することができる」、この4点が特徴となっている。換言すれば、「生涯を通して学習され、運動を通したウエルビーイングの向上に資する身体的、心理的、社会的、認識的能力の統合と活用」ということもできよう。

 今後、フィジカルリテラシー(Physical literacy)の概念は、さらに日本の現状やあるべき姿を踏まえ、より詳細に検討する必要がある。

 いずれにしても、本物の「マイペース」を達成するためには、従来の、人より優れていること、ある技術ができること、基準より高いこと等に力点がある、いわば「ユアペース」に基づく体育やスポーツのあり方から、自分の体調や調子、志向、生き方を踏まえ、身体的、心理的、社会的、認識的能力の統合とその「活用」をいかに達成できるのか、が問われる時代に入ったということだけは強調しておきたい。

参考文献

・中山玄三(1993)リテラシーの教育.近代文藝社.

・岡出美則(2022)「Physical Literacyをめぐる論議.Physical Literacy(PL)をめぐる諸外国での論議」.内藤久士,伊藤静夫,岡出美則,春日晃章,鈴木宏哉,鄧鵬宇,松尾哲矢,森丘保典,青野博(2022)『令和3年度 日本スポーツ協会スポーツ医・科学研究報告Ⅴ 身体リテラシー(Physical Literacy)評価尺度の開発-第1報-』.公益財団法人 日本スポーツ協会スポーツ医・科学委員会.pp.4-32.

・Sport Australia(2019)Australian Physical Literacy Framework version 2 https://www.sportaus.gov.au/__data/assets/pdf_file/0019/710173/35455_Physical-Literacy-Framework_access.pdf

・鈴木宏哉・鄧 鵬宇・柯 丹丹(2022)「Physical Literacyの定義と評価」.内藤久士,伊藤静夫,岡出美則,春日晃章,鈴木宏哉,鄧鵬宇,松尾哲矢,森丘保典,青野博(2022)『令和3年度 日本スポーツ協会スポーツ医・科学研究報告Ⅴ 身体リテラシー(Physical Literacy)評価尺度の開発-第1報-』.公益財団法人 日本スポーツ協会スポーツ医・科学委員会.pp.50-65.

・Unesco(1990)Literacy and Illiteracy in the World: Situation, Trends and Prospects. International Yearbook of Education, Vol, XLⅡ.

・Whitehead, M.(ed.)(2010)Physical Literacy. Routledge

  • 松尾哲矢 松尾 哲矢   Tetsuya Matsuo 立教大学 スポーツウエルネス学部、大学院スポーツウエルネス学研究科 教授 専門は、スポーツ社会学、スポーツプロモーション論。博士(教育学)(九州大学)。戦後日本のスポーツ界における「場」の構造変動と文化的再生産を主要研究とする。10年以上にわたり、SSFの「スポーツライフに関する調査」委員を歴任。
    スポーツ庁「スポーツ実施度等調査有識者会議」「スポーツエールカンパニー認定委員会」各委員、東京都スポーツ振興審議会会長、(公財)日本スポーツ協会指導者育成委員会副委員長、(公財)日本レクリエーション協会理事、日本スポーツ社会学会会長、日本体育社会学会会長などを務める。
    主な著書としては、『アスリートを育てる<場>の社会学』(単著,青弓社,2015)、『現代社会におけるスポーツと体育のプロモーション』(共著,大修館書店,2023)、『現代社会とスポーツの社会学』(共著,杏林書院,2022)、『パラスポーツ・ボランティア入門』(共編著,旬報社,2019)、『体つくり運動&トレ・ゲーム集』(単著,ナツメ社,2016)、などがある。